神保さんとの出会いは、随分さかのぼる。一度目は、リハビリ病院を退院された直後、ふらっとを見学においでになった。印象的だったのは、ご本人はあまり語らず奥様主導だったこと。多くの方の退院直後はそうかもしれない。
それから5年が経った。他の施設を利用されている中新しい出会いを自ら求め、「自立支援協議会」に当事者として参加された席が、二度目の出会いとなった。
「変わったなー」と云うのが印象だった。
この時には、神保さんの中で何が起きたのか知る由もなかった。それから更に一年。縁あってふらっとのメンバーである。今回「第二の自分探し」という文章を頂いたことで、ここに掲載させていだたく。
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7年前の6月8日、57歳の年に脳出血を発症しました。その後遺症として左半身マヒと高次脳機能障害が複数残りました。自分としては定年退職後の予定には、脳出血の予定はなかったため、入院中に意識が戻った時に「俺の人生は終わったな」と思いました。それからは「これは夢だ!悪い夢だ!」と現実を否定する毎日でした。朝目が覚め、手・足が硬直しているのを見ると、否応なく現実を知らされるのです。そんな日々が3年ほど続きました。毎日、現実をなかなか受けいれられず、布団の中で「目が覚めたら手・足は普通に戻っているんだ。悪い夢から覚めてくれ」と心に念じるのですが、朝目が覚めて、現実を知らされるという毎日の繰り返しでした。あきらめの悪い男だなぁと感じながらも・・・。
時が経ち、ある朝ふと気が付いたのです。「悪い夢だ。人生は終わりだ」とつぶやいていない自分が、そこにいることを!そのことに気付いたら、急に目の前のもやもやが晴れて気持ちが軽くなったような気分でした。心の中で「ひと山越えたんだなぁと。自分は変わったんだなぁ」と何度も繰り返していました。それまで、すべてに否定的だった毎日が素直に受けいれられるようになったのです。また自身の障害とも向き合うようになり、リハビリとの二人三脚が始まったのです。身体的な回復もスピードアップし、少しずつ客観的に物事を見られるようになってきました。定年退職後の予定を少し変更して、新しい人生のスタートを迎えたのでした。
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神保さんは、決して特別ではない。家族に囲まれ、多くの支援者に支えられ、力を蓄えながら、ゆっくりと動き始めることができる。《いのち》とはそんなものだと思った。