「私たち大切な人」
2018年4月11日更新
先月、準さんのことを記した。そして一月二十三日旅立った。私たちと別れの言葉も交わさぬ間に。ただただ、驚きと悲しみに襲われる。
ご自宅に駆けつけると、大きな発作が起こり救急車を要請したものの、雪のため到着も搬送にも時間がかかり、救命救急は間に合わなかったと話してくださるご両親。
これまで事故から九年間、ご家族、ご本人がどれほどの努力をされ、「今」と希望ある「未来」を手に入れることができたか。その道程を思い出し一緒に話し、無念に涙することしかできなかった。
ある日、準さんは私に「言っちゃあ悪いけど作業所は仕事じゃないと思うんです。でも今の自分には無理なんですよね、会社員みたいなこと」と、就労にむけた実習の道々語った。自身の後遺症を感じながら、現実に折り合いを自ら見つけなければならない苦悩を言葉にしておられた。
そして〈ウッドペッカーの森〉という作業所を利用し始めると「楽しいっス、今のボクには合っているし、給料もらえるのも、まぁ少ないですけど嬉しいですよ。夢は色々あるけど」と、未来を向いていることを教えてくれた。
自宅に戻った準さんを呼ぶ。返事はない。ただ笑顔がそこにあった。駆け抜けた三〇年、私たちも笑顔で見送らなければ準さんに叱られる気がした。
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