前へ進んでいくということ

2012年5月15日更新

 私たちは、障害を負ったメンバーの方々にケアセンターふらっとで初めて出会う。当たり前だが、病前の暮らしや、好み、考え方等できるだけ知りたいと思うが…時間がかかる。
 或る日、産経新聞の記者がふらっとに障害者自立支援法と介護保険2号被保険者の不平等の実態について取材に来た。結果、その記者佐藤さんは、取材以上の「出会い」に遭遇した。以下、彼女がそのことを記事にしたものを転記する。偶然の出会いは、温かな思いを私たちにも残してくれた。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 東京都世田谷区に障害を持つ人の自立支援施設「ふらっと」がある。取材に訪れて見学していたら、男性がやってきた。スタッフが「以前、ここを利用していた人が、今は卒業してボランティアで来てくれるんです」と言った。
 驚いた。懐かしい、私の昔の上司だった。17年前、編集局の花形次長だったときに脳梗塞で倒れ、46歳で半身まひと失語症を抱えた。職場復帰したが元の仕事は難しく、定年で退職するまでうつむきがちだった。
 しかし、久しぶりに会った元上司は見るからに生き生きとしていた。スタッフから「ヒロミさん」と呼ばれて頼りにされ、失語はあっても、身ぶりを交えて「今からみんなで出かけるんだ。車いすをこう押して」と、話してくれた。
 スタッフが、一緒に作った映画情報のチラシを見せてくれた。タイトルは「ヒロミサン家(ち)の午后の試写室!!」。B5やA4の片面に、小津安二郎や熊井啓、大林宣彦などの映画レビューが並んでいる。邦画ばかりなのは、「きれいな日本語がゆっくり流れるのでわかりやすいから」(ヒロミさんの妻、真理子さん)だという。
 映画が好きで、リハビリがてら無料映画を月に20本以上も見ると知って、スタッフが作成を思い立ったという。「これを作ることが、きっと本人のリハビリの背中を押す。他の人が『面白かったよ』と言ってくれるものになれば、さらに意欲につながる」
 しかし、失語が残る中で映画評を話してもらうのは大変だったようだ。「女優」「カメラ」などのキーワードをカードにして並べ、地図も広げ、指さしも交えてスタッフが聞きとる。スタッフはヒロミさんを分かりたい一心で根掘り葉掘り聞き、ヒロミさんは伝えたい一心で言葉を探したのだ。
 人から必要とされるとき、好きなことを伝えたいと思うときほど熱くなるときはない。
 15年前、最初に「ふらっと」に来たヒロミさんは、映画が好きと伝えつつ、こう言ったという。
 「わかんないんだよ。わかんないんだよ。テレビ、サザエさんだけ」
 今、人を介して映画評を伝えるところまで来た。入社1年生の記者だったとき、ヒロミさんにした質問を思い出した。「いい記者の条件ってなんですか」。ヒロミさんが挙げた条件の1つを、今も覚えている。「追いかけているテーマが好きなこと。『好き』を超える力はない」

文化部編集委員 佐藤好美
(2012年4月16日 産経新聞朝刊に掲載されました)


記事一覧へ