2013年5月9日更新
 

いつものように、ジョギングをしに土手にあがった。心地よい風がいつものように吹き背中を押してくれる。

 次に気づいたのは、何日後だったろう…家族は一ヶ月間眠っていたよと話してくれた。「もやもや病による脳出血」十九歳のKさんは、もう一度大学入試にチャレンジと自分の舵を取ったはずなのに、船は先の見えぬ深海へと方向を変えていた。
 長い療養とリハビリ。日々の生活は病院が中心。初めて私が出会ったときも、話題は病院の話ばかりだった。こんなに若い青年が、老人のように熱心に我が身に起こった不条理を延々と語る。
そこに希望は見えなかった。

 きっかけは、ヘルパーとの外出。病後初めての第三者の登場だ。目指すは、バスに乗って「二子玉川」。まだまだ屋外を歩く体験は少なかった。遠い。なんとしてもバス停を目指すが、気持ちが萎える。歩き続けるのは、歩行機能だけではない。転ばないように、道を間違えないように、あれこれ気を配り、注意力を持続させる。大変なことだ。
 やっとバスに乗れた!と思いきや、繁華街の人混みで今度は人酔い…結局家族に迎えにきてもらう。
行きつ戻りつしながら数ヶ月後、二子玉川往復に余裕が見え始めた。
 この頃から、近所の人に「表情が変わったね」「明るくなったね」と声をかけられるようになった。自分ではちっともわからないが…気分がいいと実感する日が増えたと思った。
 この頃Kさんの中に思いが広がっていた。「同じ病気の同じような年齢の人に会いたい」みんなどうしているんだろう?病院で出会った人は高齢者が多い。街にでれば、「障害者」と見受けられるのは自分だけ。自分と同じような人は、ひょっとして居ないのではないか…思いがぐるぐる回る。
 ケアセンターふらっとにたどり着いたKさんは「同じ人が居る」と複雑な思いと、ちょっとした安堵感のような感触に包まれた。

 そして一年が経ち…

 来年の豊富ですか?
まずは、一般交通機関を使ってふらっとに通いたい…あーもう一度大学にも挑戦したい・・・
あー英会話もやりたい・・・それと・・・
「きりないっすネ!」と自分で笑い出した。
 一度は深海に潜った船は、この春大きな帆を張り大海へと漕ぎ出して行く。この先には、嵐も海賊にも襲われることがあるだろう。しかし決してマストは折れることがないような気がする。 何故って…
 ケアセンターふらっとの仲間がたまたま入院、手術をすることを耳にしたKさん。誰にいわれることなく色紙を用意し「寄せ書きして励ましたい」と言い出した。辛く苦しい闇を通ったKさんにとって、大切な心をかよわす仲間ができたのだとおもう。発病から七年目の春だ。

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