翼を広げて

2013年6月19日更新
 

グアテマラでスペイン語とマヤ遺跡について学んでいた太助さんは、現地でバイクに跳ねられた。今から七年前のことになる。多数の骨折に加え、脳挫傷、更に救命救急設備のない地での手術により低酸素脳症までになった。命からがら帰国とはこのこと。両親、家族の願いは、命を繋いだ。引き換えに身体障害に加え高次脳機能障害という後遺症にみまわれる。

 しかし後遺症は薄紙を剥ぐように回復への道をたどった。一年を残して休学していた大学も、多くのボランティアや支援者に恵まれ卒業。必死に回復に向け足元を見続けた太助さんが、顔をあげ辺りを見回せば、「これからどうする」の答えが見つからなかった。
 「ふらっとで一人で暮らししながら考えてみれば…」と後方支援の両親に背を押され、故郷松江を離れることになった。
 「東京は空がない、空気も悪い、何をしたいのかわからない」苛立つことばかり。しかし当たる相手は居ない。受け止めてくれたのは、ヘルパーや同じ仲間だった。
 一年半を過ぎ、次の目標を考える今年。三輪自転車を特訓中である。まだまだ後遺症のある太助さんにとって自転車は難しい。この三輪車は、ふらっとで同じグループであり、太助さんより一足先に卒業し、現在復職している坪内さんから譲り受けたものだ。この三輪車で、松江市内を「ひき売り」する予定である。何故ひき売りなのか、何を売るのか、詳細は、五月連休中、松江に帰省する太助さんを待って報告したい。 事故から七年。一人の若者が新しく故郷松江で太助さんにしかできない「起業」を試みることになりそうだ。応援せずにはいられないと思う春である。

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