教えを請う

2013年9月3日更新
 自立機能訓練グループのKさんは、陶芸家である。その彼が、脳出血により右手を奪われればどんなことになるか。誰もが想像がつく。そして誰もが思うことは「残された左手でやってみるのは…」である。しかしKさんの思いは全く違った。

 元々陶芸作品を次から次へと作りだしたくて陶芸家になったのではないことを、奥様から伺った。
「人に陶芸の楽しみを伝えたくて、教えたくて、陶芸家になったんですって」
 Kさんの陶芸教室は笑い声が絶えず、それは人気だったとのこと。つまり、右手が使えないこともさることながら、言葉を奪われたことが、何よりも苦しかったのだ…

 それでもKさんは、ふらっとにきて、単独で歩行ができるようになり、いつの間にか自分で都心の書店に本を探しに出かけ、家族旅行のチケットをネットで予約できるまでに回復された。しかし彼が望む陶芸教室講師としての「言葉」は遅々として戻らない。

 私たちは一計を案じ、私たちスタッフがまず教えを請うことにした。教室はKさんの自宅。全く何のセンスもない生徒である。Kさんは苦笑の連続。笑い話は尽きない。今は言語聴覚士の方にも応援をボランティアで願っている。
 なかなか出口の見えない作業だが、取り組んでいるのは「アート」。芸術の秋にむかって不出来な生徒は、通い続けている。

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