繋がりのささえ

2013年11月13日更新

「ココカラ。徒然ブログ」で6月に登場した西村太助さん。この秋でケアセンターふらっと自立訓練グループを修了し、故郷の松江で仲間と一緒に新しい仕事にチャレンジします。
 東京での暮らしを振り返りながら、その歩みを2回にわけて綴る後編です。

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 太助さんは、25歳大学生の時、グアテマラに旅立った。未知なるものへの若者らしい夢を抱えながらの旅は、誰も想像もしなかった交通事故で幕を下ろし、引き換えに生死をさまよう旅を経て日本に戻った。そして自身の記憶とは全くつながらない「高次脳機能障害」を抱えての旅が始まった。

 奇跡ではなく、家族の愛と己が生命の強さで、事故を越え大学への復学を果たした。恵まれたのは「人」であった。実家とは遠く離れた和歌山の地で、本人も周囲も「現状」を理解することは困難であった時期に、コーディネーターとして作業療法士がかかわり、ヘルパー、ノートテイカー、ボランティアが繋がり、回復を支えた2年間。無理と言われた一人暮らしを何とか過ごし、今度は東京での「トライ!」
 学校という枠もなく、ケアセンターふらとっでの自立機能訓練事業は「自ら」が動き出さなければ何も手に入らない。ここでも「人」に恵まれた太助さんは大きな回復を得た。プールボランティアとの出会い、多くの仲間、ヘルパーに再び支えられた。東京での感想?に「人との出会い」と核心を突くコメントを残し、郷里松江に発って行った。そして、松江での仕事。前号でも紹介したように、幼馴染が展開する「自然食品販売」に参加する。
 夢はふくらみ、自分が入ったことで売り上げが増えるようにしたい!と目標もできた。そしてずっと太助さんの回復を願いつづけた3人の幼馴染は、事業のホームページもリニューアルさせ、太助コーナーを作り同僚として迎え入れる準備を整えてくれた。太助さんの仕事がやりやすいようにと、ふらっと作業療法士と情報交換しながらの事前準備もすすめて。
 私たちにとっては、人との繋がりが何よりも太助さんのリハビリテーションにおける「鍵」であったことを学ぶ。「まっちょるけんね」と故郷からの声が彼を支え、新しい支え合いが松江で始まろうとしている。今度は支えられるだけではなく、自ら支え手を担う太助さん。新しい旅の出発に乾杯!


※写真はゆうきネット山陰の仲間たちと。ホームページはこちらから。
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